東京家庭裁判所 昭和49年(家)7921号 審判 1974年12月27日
本籍 福島県原町市
住所 東京都新宿区
申立人 山本友子(仮名)
無国籍
住所 申立人と同じ
事件本人 フー・カン(仮名)
主文
申立人を事件本人の後見人に選任する。
理由
本件申立の要旨は「申立人は昭和四一年四月二二日国籍マレーシアフー・チン(一九三九年一月二四日生)と婚姻し(同日東京都新宿区長に婚姻届出、日本外務省の証明により一九六七年一〇月五日東京のマレーシア大使館了知)、昭和四三年六月一九日事件本人を出産したところ、フー・チンは事件本人出生前の昭和四二年一〇月一五日、単身で本国マレーシアに帰国してしまつたので、母である申立人において昭和四三年七月一日東京都新宿区長に出生届出をした(日本外務省の証明により一九六九年三月二六日東京のマレーシア大使館了知)。マレーシアの法律によれば、父がマレーシア市民であり、出生後一年以内に父により登録がなされれば出生した子はマレーシアの国籍を取得できることになつているが、フー・チンがその手続をしなかつたため、事件本人は無国籍となつている。このたび事件本人につき日本国へ帰化申請手続をするため、母である申立人を事件本人の後見人に選任する旨の審判を求める。」というのである。
よつて審按するに、申立人の戸籍謄本、東京都新宿区長の出生届書受理証明書、在東京マレーシア大使館の婚姻並びに出生に関する証明書、事件本人の登録証明書、当庁昭和四七年(家)第一二八五八号事件記録(申立人山本友子)、当庁家庭裁判所調査官横沢昭安の調査報告書および申立人審問の結果を総合すると、申立の要旨のとおりの事実関係を認めることができる。
在東京マレーシア大使館三等書記官領事ムサルデイン・ビン・オマールの申立人あて一九七〇年八月五日付書簡によると、事件本人のマレーシア市民権は認められないこと、その理由は(1)マレーシア市民としての子の登録申請は子の出生の一年以内になされなければならないこと、(2)父がマレーシア市民である子の登録申請は、その父自身によつてなされなければならないことが認められる。マレーシア憲法第二附則第二編第一条(c)がこのことを規定している。事件本人は母である申立人がマレーシア国籍を有するフー・チンとの婚姻中に出生したものであるから、その父はフー・チンと推定されるところ、日本の国籍法第二条は父系主義をとり、出生の時に父が日本国民であるとき、父が知れない場合又は国籍を有しない場合において母が日本国民であるときに、子は日本国民となるものとしているから、事件本人は日本の国籍を取得することができず、また前記のとおりマレーシア国籍をも取得しえない以上、無国籍ということになる。
そこで事件本人が日本国籍を取得するためには国籍法第三条、第四条第五号、第五条に基づく帰化によることになるが、事件本人は現在六歳の未成年者であるから、その申請手続のためにも親権者、後見人等、その法律行為を代理すべき者が必要となる。しかして、親子間の法律関係は法例第二〇条により父の本国法たるマレーシア法によることになるが、マレーシア大使館領事アブドル・ハミッドの当庁家庭裁判所調査官横沢昭安に対する陳述によると、マレーシアの成文民法では、未成年の子の親権者は第一次的に父であり、父が親権者としての義務を怠つている場合は裁判所の決定により親権者を母に変更することができるものとなつている、中国系マレーシア人については中国の慣習法が適用される、とのことである。
マレーシアの婚姻法および離婚法についてのGWバーソロミューの著書、田中実訳によると、婚姻および離婚に関する中国およびヒンズー法のマラヤ連邦内での適用については立法的基礎は存在しないこと、歴史的にみると、婚姻および離婚に関するコモンローはキリスト教徒でないものに適用するには適しなかつたので、中国およびヒンズー法が(初期にはイスラム法もともに)人事法の体系として適用されざるをえなかつたこと、ヒンズー法がその適用上ヒンズー教徒に限定される一方、困難は中国慣習法の場合に、とりわけキリスト教徒たる中国人が、そのキリスト教徒たる事実にも拘わらず、一夫多妻と夫による一方的離婚を認めている中国慣習法の利益を主張できるかという点に存在すること、が認められる。
そして申立人審問の結果と前記家庭裁判所調査官の調査報告書および申立人提出にかかる手続類その他の資料を総合すると、次の各事実が認められる。
申立人は、その父が戦時中に中国の鉄道に勤めていたので、申立人も中国に渡り、小学校五年生まで中国に滞在し、昭和二一年三月に家族とともに日本に引き揚げ、肩書本籍地で高校までを修了、昭和三三年三月○○家政大学を卒業して福島県原町市の○○高等学校教諭として在職四年、昭和三七年四月から東京都○○区立第○中学校教員となり現在に至つているものであるが、昭和三六年夏、夏休みを利用して旅行中に、中国系マレーシア人で当時日本へ留学中であつたフー・チンと知り合い、数年間交際したのち昭和四一年三月二二日新宿区の厚生年金会館で結婚式を挙げ、肩書住所で同棲した。フー・チンは留学生として○○大学二年を経、昭和四二年三月△△大学工学部を卒業し、××貿易株式会社本社に六か月在勤したのち昭和四二年一〇月一五日マレーシアに帰国することになり、申立人に対しては生活が安定し次第必ず迎えにくるからと約束して単身出発した。そしてその後はマレーシアのクアラルンプールにある前記会社の工場に勤め、申立人とは手紙のやりとりをしていたが、申立人は同人の帰国後に妊娠していることを知り、その旨を同人に知らせたところ、昭和四三年六月二四日付消印の手紙で「子供の名前は男ならフー・カン女ならフー・レイとするように」と言つてきたので、そのように命名して前認定のとおり同年七月一日出生届出をした。しかし事件本人出生後は従来と様子が変り、申立人が何度手紙を出しても一向に返事がこなくなり、国際電話で勤務先の会社に電話すると電話口に出て調子のよい返事をするが、結果的には何ら実効のない空返事に終り、らちがあかない状態となつた。昭和四九年九月二三日の電話連絡では事件本人の小学校入学もあり、同年一〇月中には日本にくる旨約束しながら、遂にその履行はなく、同年一〇月二九日に電話したところ、同人は前記会社を退職したとのことであつた。
家庭裁判所調査官から大阪市の○○貿易株式会社大阪支社アジア営業部へ照会したところ、フー・チンは昭和四九年一〇月一一日現地の同会社を退職したが、退職に当りマレーシアの○○電機株式会社に就職したいと言つていたとのことであつた。
そして同人が現地の○○電機株式会社に就職していることが判明し、昭和四九年一二月三日、五日、一一日の三回にわたり申立人から国際電話を入れ、同人と連絡がとれたが、同人は現地で他の女性と結婚したらしく、これより先同年一二月一日呉麗という署名のある中国文の書簡が申立人のところに届いた。右書簡を申立人の父が翻訳解読したところ、その要旨は「友子姐姐!此の手紙が貴女のもとに届けられた時、きつと驚かれることでしよう。しかし私もまた貴女にこの手紙を書かずにはおられません。このようになつたことを私は自分の良心に問うてすまないと思つております。というのはフー・チンが彼と私の結婚の登録を求めてきたからです。私どもは中国の風俗に従つて婚礼をあげております。但しまだ登録はしておりません。登録の前に先に貴女に手紙を書いて通知します。どうぞ私に返答して下さい。(以下略)」というものである。
前記のとおり事件本人は父であるフー・チンの出国後に出生したものであり、フー・チンは事件本人と面接したことはなく、養育料を支払つたこともない、事件本人は母である申立人に養育され、現在保育園に在園しているが、昭和五〇年四月には小学校に入学する予定である。
なお申立人は昭和四七年一二月四日東京家庭裁判所に本件と同様の趣旨で後見人選任申立をしたが(同庁昭和四七年(家)第一二八五八号事件)、事件本人の日本国への帰化申請については事実上の母からの申請でも受理される取扱いであると聞き、昭和四八年六月一三日右申立を取り下げたものである。
前記のとおり事件本人に関する親子間の法律関係は法例第二〇条により父の本国法たるマレーシア法によることになるが、中国系マレーシア人であるフー・チンに適用されるべき中国慣習法の内容は明らかでない。しかし日本の親権が子の保護のため、子および社会に対する義務として定められているのと同じく、マレーシアの中国慣習法においても、未成年の子に対する監護教育とともに親による財産管理またはその他の法律上の行為の代理についての制度があるものと推認できる。そして父であるフー・チンが事件本人の単独の親権者であるとしても、フー・チンはマレーシアに居住しているのであつて、すでに他の女性と事実上の婚姻をしており、事件本人に対する扶養の義務も尽くしていないのであつて、申立人のもとに戻る意思もないものと推認されるから、フー・チンは事件本人に対する親権者としての権利義務を行使することが著しく困難な状況にある。
法例第二三条によれば後見人は被後見人の本国法によることになるが、前認定のように事件本人は無国籍であるから、この場合は居住地法である日本民法が適用されると解すべきである。日本民法第八三八条によれば、未成年者に対して親権を行う者がないときは後見が開始することになるところ、親権を行う者がある場合でも、親権者がその責任を果すことが著しく困難な状況にあるときは、未成年者の健全な育成と保護の要請上、後見人選任の必要性があるといわなければならず、特に未成年者が公的な制度をとおす行為をする場合は、特別の考慮が払われて然るべきである。
すなわち本件においては未成年者たる事件本人の利益のため、母である申立人をその後見人に選任することが相当であるから、本件申立を認容し、民法第八四一条、家事審判法第九条に従い、主文のとおり審判する。
(家事審判官 田中恒朗)